👋山健 組 解散。 神戸山口組の大物組長が引退、組織は解散…六代目山口組からの度重なる「警告」が影響か

今年3月、その藤健興業事務所が六代目山口組系組織に発砲され、同組織関係者がごぞって六代目山口組系組織へと移籍することになる 織田絆誠組長率いる絆會(旧・任侠山口組)が解散するようだ
(文=山口組問題特別取材班). (文=山口組問題特別取材班). それは神戸山口組と近いと考えられていた他団体に対してもそうです 現在、殺人未遂で勾留中の中田浩司・山健組組長は分裂を最初に言い出した張本人だから、もちろん反井上派であり、組の名乗りは従来通り5代目山健組で通す
中田組長の意向に沿わない残留派を問題視していたというのです」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト) 結果、五代目山健組の離脱派は、残留派に対して処分を検討 ただ絆會においても、結成後、何度か代紋を公表するのではないかと業界関係者の間で話題になったことがありますが、現時点ではまだ発表されていません
「池田組も神戸山口組から離脱後、関係先へと挨拶状を送付しているが、代紋などは記されていなかった それから1年後、このようになることを誰が想像することができただろうか
兼一会はもともと神戸山口組の中核団体「山健組」傘下の組織で、ミナミでは宅見組と並んで絶大な力を持っていた 一方、六代目山口組はその間も神戸山口組に対する攻撃を緩めずに着実に勢力を剃り落とし続けた
中谷組 岐阜 1989年中谷利明組長の引退により解散 九代目國領屋鍛冶町一家 静岡 1990年 十代目國領屋鍛冶町一家として芳菱会傘下へ 九代目國領屋下垂一家 静岡 1991年芳菱会に改称 関保会 北海道 1991年赤石秀雄総長の除籍により解散 二代目梶原組 兵庫 1992年仲田喜志登組長の絶縁により解散 小田組 鳥取 1992年小田丞組長の引退により解散 平澤組 大阪 1993年平澤武善組長の引退により解散 菱心会 愛知 1994年 佐々木康裕組長が逝去解散後佐々木一家として弘道会傘下へ 則竹組 岐阜 則竹武由組長の引退により解散 松本組 長崎 1994年松本敏久組長の破門により解散 仲里組 兵庫 仲里正秋が二代目真鍋組を継承二代目仲里組として真鍋組傘下へ 羽根組 三重 1995年羽根悪美組長の引退により解散 花川組 兵庫 花川 勝組長の引退により解散 藤和会 大阪 1995年木村忠雄会長の破門により解散 二代目山崎組 京都 1997年安藤憲二組長の逝去により解散 二代目野田組 本田健二組長の引退により解散 二代目安達組 島根 1997年 解散 益田 啓 組 名古屋 1997年益田啓助組長の引退により解散 二代目南組 大阪 1997年植村良朗組長の逝去により解散 中野会 兵庫 1997年中野太郎会長の絶縁その後2005年に解散 長谷組 大阪 1997年解散 四代目諏訪一家 兵庫 五代目諏訪一家として侠友会傘下へ 鈴秀組 大阪 二代目鈴秀組として三代目山健組傘下へ 三代目小天竜組 徳島 1997年解散 嘉陽組 大阪 1998年嘉陽宗輝組長の逝去により解散 倉本組 奈良 1998年倉本広文組長の逝去により貴広会と倉心会に分裂 これまで五代目山健組では、神戸山口組を離脱した勢力も、残留していた勢力も、「あくまで親分は中田組長である」という明確な姿勢を示していた
「会合には池田組長をはじめ、絆會の織田会長も出席 全盛期には組員数800人を超えるといわれた組織だ
だからこそ、全国各地に根を張ることができたのです 五代目山健組の離脱に、池田組の脱退
六代目山口組から分裂してできたのが、 神戸山口組だった 「熊本組傘下の主力団体といえば、藤原組長が率いていた藤健興業だった
業界関係者の間で数々の疑問が渦巻く中、ある業界関係者はこのように話した 太田組長はその後、一度は引退するも、神戸山口組の発足に合わせて現役復帰するなど、同組織の中でも重鎮と呼べる存在であった
16

理由は定かになっていないが、六代目山口組を相手に第一線で戦ってきた組織が次々に神戸山口組を去っていった。

山健組一筋にやってこられた福原会長としては、山健組が分派したことも、自身の引退になんらかの関係があるのではないか」 そのほかにも、神戸山口組の有力団体である二代目宅見組にも異変が生じているという。

神戸山口組の納会が行われた二代目西脇組本部 12月11日に 六代目山口組が、例年より2日早く納会を開催させたのち、必然的に注目が集まったのが 神戸山口組の納会の動向である。

そうした状況は現在、五代目山健組に限って起こっていることではない。

その後、山健組内で最高幹部を歴任したのち、神戸山口組では直参となり、最終的には最高幹部となる若頭補佐を務めていた。