翠川 秋子。 BEST5|ニフティニュース

ミシンや編み物の教授、副業仲介、それに職業仲介。

91
侠気のためにかえって人に裏切られ、地位を奪われ、汚名まで着せられたこと、一再ではありません。 1935年8月21日付夕刊各紙は大きく秋子の遺体発見を報じた。 「維新前には与力という武士の家の一人娘として生まれ、父が拝領の地・日本橋亀島町1丁目27番地で呱々の声をあげてから、近所の人たちは地主様のお嬢様として、ただわけもなくもてはやした」という生い立ちや、結核と思われる病気で夫を失った後に「石にかじりついても独立して子どもを一人前にしてみせる。 この男女の身元は、北条署で取り調べの結果、女は初代アナウンサーとして家出中の東京市新宿、翠川秋子こと荻野千代(43)、男は東京市豊島区池袋町2丁目1166、弁護士法学士・藤懸重次氏の長男で東京蒲田区役所吏員・藤懸羊次君(29)と断定され」たと東日は報じた。 「世の中はせちがらい。 「職業婦人座談会」では会社事務員やバス車掌らが男女差別の実態などで意見を交わしている。
75